Step 10 「世界」を問うとは、何を問うことなのか
このStepで答える問い
「世界」を問うとは、そもそも何を、どう問うことなのか?
まず3行でいうと
- 世界のなかにあるものをいくら数え上げても、世界そのものには届きません。項目を増やしても出てきません。§14 が最初にやるのは、この道が通れないことを確認することです。
- もう一つの道もふさがれます。世界のなかにあるものの存在のほうを解明する道です。しかし、たとえば「自然」もまた世界のなかで出会われるものです。この道が行き着くのは、世界そのものではありません。
- そこで §14 は向きを変えます。世界は、私たちの向こう側にある物について言われることではありません。私たち自身のあり方の側に属することです。 中身の違ういくつもの「世界」が、どれも「世界」でありうる——その成り立ちのほうを問う。それを指す言葉が 世界性(Weltlichkeit) です。
前のStepから
Step 09 で第二章が終わりました。
- 「うちにあること」は、位置ではなく馴染みと関わりのあり方である(§12)
- 認識は、その上に立つ一つのあり方である(§13)
そして Step 08 で挙げた三つの切り口のうち、第一のものが手つかずのまま残っていました。
「世界のうちに」の——その「世界」とは何なのか。
この Step から第三章に入ります。 §14 は、その章の冒頭に置かれる節です。
今回なぜこの問題が必要なのか
ここで方法を決めておかないと、この先の分析はすべて世界のなかにあるものの目録になってしまいます。
「世界とは何か」と問われて、私たちが反射的にやることは決まっています。世界のなかにあるものを挙げ始めるのです。山があり、海があり、街があり、人がいる。挙げれば挙げるほど、世界を説明できている気がしてきます。
しかしこのやり方で進むかぎり、出てくるのは世界のなかにあるものばかりです。世界そのものは、一度も現れません。
§14 は、記述を始める前に記述の向きを決める節です。地味に見えますが、ここを飛ばすと、この先の何十ページかがまるごと的を外します。
原典で起きていること
まず、普通の言い方で
「世界について調べる」と聞くと、そこに何があるのかを数えたくなるかもしれません。
建物、人、道路、木、道具。海があって、山があって、空がある。数え上げていけば、そのうち世界の全体にたどり着けそうな気がします。
しかし、それらを全部並べても、ハイデガーが問う「世界」そのものにはまだ届きません。 §14 がまずやるのは、このことを確かめることです。
通れない道 その一——世界のなかにあるものを数え上げる
§14 が最初に検討するのは、いちばん自然に見える道です。世界のなかに現れてくるものを描き出していく。家、木、山、川、人。
§14 の指摘はこうです。これは存在者についての報告であって、世界そのものの記述にはならない。
どれだけ丁寧に、どれだけ大量に描いても、出てくるのは世界のなかにあるものです。項目を足しても、その性格は変わりません。
通れない道 その二——それらのものの存在を解明する
では、列挙をやめて、もう一段上がったらどうでしょうか。挙げられたものの存在のほうを、存在論的に解明する。たとえば「自然」というものの存在を規定してみる。
§14 は、これも世界には届かないと述べます。
理由はこうです。自然そのものもまた、世界のなかで出会われるものだからです。 自然が発見されうるということ自体が、現存在のあり方に基づいて成り立っています。だからこの道が行き着くのは、世界のなかにあるものの存在であって、世界そのものではありません。
二つ目の道も、ふさがりました。
向きを変える
ここで §14 は、決定的な一歩を踏みます。
世界は、現存在ではない存在者についての規定ではありません。世界は、現存在そのものの性格です。
これが §14 の要になる転回です。世界を、私たちの向こう側にあるものとして探しにいくのをやめ、世界内存在という構えのほうから取り出す——この向きの変更が、第三章全体の進み方を決めます。
「世界」という語の四つの使われ方
ここで混乱が起きやすいため、§14 は語の使い分けを整理します。「世界」という語は、少なくとも四つの意味で使われています。
| # | 使われ方 | 何を指すか | 例 |
|---|---|---|---|
| ① | 存在者的 | 世界のなかにありうるものの総体 | 「世界には八十億の人がいる」 |
| ② | 存在論的 | ①のものの存在。またある領域を指す名 | 「数学者の世界」=数学の対象になりうるものの領域 |
| ③ | 存在者的かつ実存的 | 事実的な現存在が現にそこで生きている、その「うち」 | 「公共の世界」「自分の身のまわりの世界」 |
| ④ | 存在論的かつ実存論的 | ③のような個々の「世界」が成り立つほう | 世界性(Weltlichkeit) |
そのうえで §14 は、術語としての使い方を決めます。
- 「世界」は、③ の意味で用いる
- 「世界に属する(weltlich)」という語は、現存在のあり方についてだけ用いる
- 世界のなかで出会われるもののほうは、「世界のうちにある(innerweltlich)」と言う
この使い分けは、細かく見えて重要です。ここを混ぜると、「世界に属する」という語が物のほうへ滑っていき、§14 がいま向きを変えたばかりの方向が、すぐに元へ戻ってしまうからです。
「世界が世界である」とはどういうことか
そして ④ が、この章が取り出そうとしているものです。
ここも先に、普通の言い方をします。私たちが生きている「世界」は、人によって違います。 研究者が生きている世界と、農家が生きている世界と、小学生が生きている世界は、同じではありません。それぞれ、何が大事で、何が問題になり、何が当たり前として通じるかが違います。
では、そうやって中身が違っていても、どれもが「世界」でありうるのはなぜか。そこで働いているものは何か。
この問いを立てるための言葉が、世界性(Weltlichkeit) です。
§14 はこれを、世界内存在というあり方を成り立たせている一部分として位置づけます。そして 実存範疇 の側に置きます。Step 06 で立てられた区別が、ここでそのまま効いています。世界性は、物について言われることではありません。
つまり世界性は、個々の「世界」——ある人が現に生きている、その「うち」——のことではありません。そうした個々の世界が成り立つほうを指しています。
では、どこから始めるのか
向きが決まったところで、§14 は最初の一歩を決めます。
出発点は、日常の世界内存在です。つまり、いちばん身近な周囲の世界(Umwelt) から始めます。この身近なところを調べることが、世界一般の世界性へ至るための手がかりになります。
一つだけ注意が置かれます。「周囲の世界」という語には、空間を思わせる響きがあります。しかし §14 は、その空間性のほうを、世界性の構造から解明すべきものとして先へ送ります。 空間が先にあって、そこに世界が置かれるのではありません。順序は逆です。
具体例
ここからは、理解を助けるために本連載が置いた例です。ハイデガー自身の例ではありません。
「世界地図」という言葉があります。
世界地図には世界が描かれている——私たちはふつうそう言います。では、そこに描かれているのは何でしょうか。陸地、海、国境、都市の名前。つまり、世界のなかにあるものです。
世界地図を指して「これが世界だ」と言うとき、私たちは世界のなかにあるものの一覧を、世界そのものと呼んでいます。§14 が最初に止めるのは、まさにこの一歩です。
しかも、この一覧はいくらでも詳しくできます。縮尺を上げ、地形を足し、人口を足し、気候を足す。詳しくなればなるほど、世界を捉えている感じは強くなります。しかし、増えているのは項目の数だけです。
そして §14 は、一覧を長くする方向には進みません。逆の方向へ向きを変えます。
この例が示しているのは、「世界」という語が二つの別のことを指しうるという一点だけです。世界地図が不正確だという話ではありませんし、本当の世界地図が別にある、という話でもありません。
論証を整理する
問い
「世界」を問うとは、何をどう問うことなのか
前提
Step 08:世界内存在には三つの切り口がある。本Stepは第一の切り口を扱う
Step 08:世界は入れ物ではない(「うちに」は位置ではない)
Step 06:現存在の存在規定(実存範疇)は、物の存在規定(範疇)から切り離される
推論
(1) 世界のなかに現れるものを描き出す道は通れない。
それは存在者についての報告であって、世界そのものの記述ではない
(2) それらのものの存在を存在論的に解明する道も通れない。
たとえば自然もまた世界のなかで出会われるものであり、
自然が発見されうること自体が現存在のあり方に基づいている
→ この道が行き着くのは「世界のうちにあるものの存在」である
(3) したがって向きを変える。
世界は、現存在ではない存在者についての規定ではない。
世界は、現存在そのものの性格である
(4) 混乱を避けるため、「世界」の四つの使われ方を区別する
① 世界のなかにありうるものの総体(存在者的)
② ①の存在、または領域の名(存在論的)
③ 事実的な現存在が現に生きている、その「うち」(存在者的かつ実存的)
④ ③が成り立つほう = 世界性(存在論的かつ実存論的)
→ 術語としては ③ を「世界」と呼ぶ。
「世界に属する」は現存在のあり方についてだけ用い、
世界のなかで出会われるものは「世界のうちにある」と言う
(5) 世界性は、世界内存在というあり方を成り立たせている一部分であり、
個々の「世界」そのものではなく、それが成り立つほうを指す。
そしてそれは実存範疇(=私たち自身について使う言葉)の側に属する
(6) 出発点は日常の世界内存在、すなわちいちばん身近な周囲の世界にとる。
そこを調べることが世界一般の世界性への手がかりになる
→ ただし「周囲」の空間性は、世界性の構造のほうから後で解明される
結論
「世界」を問うとは、世界のなかにあるものを数え上げることではない。
現存在そのもののあり方に属する構造として、世界性を取り出すことである
次の問い
では、そのいちばん身近な周囲で、私たちが実際に出会っているものは何なのか
重要語
- Weltlichkeit(ヴェルトリッヒカイト / 世界性): 中身の違ういくつもの「世界」が、どれも「世界」でありうる——その成り立ちのほうを指す言葉。世界内存在というあり方を成り立たせている一部分であり、実存範疇(Step 06)の側に属する。個々の「世界」そのものの別名ではない。
- Welt(ヴェルト / 世界): §14 が四つの用法を区別し、術語としては ③ の意味——事実的な現存在が現にそこで生きている、その「うち」——で用いると定める。
- weltlich(ヴェルトリッヒ / 世界に属する): 現存在のあり方についてだけ用いる語。
- innerweltlich(インナーヴェルトリッヒ / 世界のうちにある): 世界のなかで出会われるもののほうについて用いる語。weltlich と取り違えないことが §14 の求めるところである。
- Umwelt(ウムヴェルト / 周囲の世界): 分析の出発点として選ばれる、いちばん身近な世界。ここを調べることが、世界一般の世界性への手がかりになる。
- In-der-Welt-sein(世界内存在)/In-Sein(うちにあること): Step 08・09 から継続。
- Existenzialien(実存範疇)/Kategorien(範疇): Step 06 から継続。世界性は実存範疇の側に属する。
誤解しやすい点
-
「世界は主観が作り出したものだ」ではありません。 §14 は世界を現存在の性格だと述べますが、これは「世界は頭のなかにある」という主張ではありません。§14 が退けているのは、世界を現存在の向こう側にある物の側の規定として立てることであって、世界を内側へ移すことではありません。Step 09 で見たとおり、内側と外側という絵そのものが、すでに退けられています。
-
世界は入れ物ではありません。 Step 08 から継続する注意です。§14 が四つの用法を分けているのは、まさに ① の意味——ものの総体——が「世界」の全部だと思われやすいからです。
-
「自然は存在しない」ではありません。 §14 が言っているのは、自然もまた世界のなかで出会われるものであり、自然についての存在論から世界そのものへは届かない、ということだけです。
-
「世界性」は「世界」の言い換えではありません。 世界性は、個々の「世界」が成り立つほうを指します。同じものに二つ名前をつけているのではありません。
-
「世界は文化や社会のことだ」ではありません。 ③ の用法は「公共の世界」を含みますが、§14 が取り出そうとしているのは ④ のほう、つまり ③ が成り立つための構造です。
-
身近なところから始めるのは、簡単だからではありません。 §14 が周囲の世界を出発点に選ぶのは、そこが世界性への手がかりになるからです。難易度の話ではありません。
-
§14 では、まだ答えが出ていません。 ここで行われるのは問題の立て方を決めるところまでです。世界性が具体的にどういう構造なのかは、§15 以降で取り出されます。この Step を読んで「世界とは何か分かった」とならないのが、正しい読み方です。
-
「周囲」は空間の話ではありません。 §14 は、周囲の世界に含まれる空間性を、世界性の構造のほうから後で解明すべきものとして先へ送ります。空間が先にあって、そこに世界が置かれるのではありません。
自分で考えてみる
- 「世界」という語を今日あなたが使ったとしたら、それは §14 の四つの用法のどれに近かったでしょうか。
- あなたがよく知っている場所を一つ選び、そこにあるものを十個書き出してください。その十個のリストは、「そこがどういう場所か」を言い当てているでしょうか。
次のStepへ
向きが決まりました。世界を、物の側にではなく、現存在のあり方の側から取り出す。
出発点も決まりました。いちばん身近な周囲の世界から始める。
ここまでが §14 です。まだ、世界性そのものは取り出されていません。§14 がやったのは、取り出すための道を選んだところまでです。
では、その身近な周囲で、私たちが実際に出会っているものは何なのでしょうか。
ここでもう一度、反射的な答えが出てきます。「物質でできた物」。木、金属、プラスチック。一定の形と重さを持ち、空間のある位置を占めているもの。
しかし、思い出してください。Step 09 で見たとおり、物をそういうものとして眺めるのは、手が止まったときのあり方でした。手が止まっていないとき、つまりふつうに暮らしているとき、私たちは目の前のものを、そんなふうには扱っていません。
では、そのとき私たちが出会っているものは、どういうあり方をしているのでしょうか。
次の Step 11 では、その問いに入ります。
出典・参考資料
本文の各主張と一次資料の対応関係は、memo/evidence/being-and-time/step-10-evidence.md を正本とします。
以下の「H.」は、ドイツ語原典(Niemeyer社版)の各ページ余白に付されている標準の頁番号です。翻訳書にも同じ番号が併記されているため、どの版からでも同じ箇所をたどれます。
REF-01: Martin Heidegger, Sein und Zeit, Max Niemeyer.(1927年公刊) 本Stepで根拠として用いた箇所は次のとおりです。
- 第一篇 §14(H. 63-65) — 世界一般の世界性という理念。世界のなかに現れる存在者を描き出す道が、存在者についての報告であって世界そのものの記述にならないこと。それらの存在を存在論的に解明する道も、たとえば自然が世界のなかで出会われるものであるために、世界そのものには届かないこと。したがって世界は現存在ではない存在者についての規定ではなく、現存在そのものの性格であること。「世界」という語の四つの用法(①世界のなかにありうるものの総体/②その存在、または領域の名/③事実的な現存在が現にそこで生きているその「うち」/④それを可能にしている構造としての世界性)と、術語としては③を「世界」と呼び、「世界に属する」を現存在のあり方についてだけ用い、世界のなかで出会われるものは「世界のうちにある」と言うという取り決め。世界性が存在論的な概念であり、世界内存在の一つの構成契機の構造であって、実存範疇であること。分析の出発点を日常の世界内存在、すなわちいちばん身近な周囲の世界にとり、それが世界性への導きの糸になること。周囲の世界に含まれる空間性を、世界性の構造のほうから後に解明すべきものとして先へ送ること
章の所属について: §14 は第一部第一篇の第三章「世界の世界性」(§14-24)の冒頭に置かれる節です。章の範囲は
memo/20260828_存在と時間_原典構造マップ.mdによります(同マップは 2026年8月30日に、運営者による一次資料確認に基づき §14 の章帰属を訂正しています)。
参考資料(本文に直接対応する引用はありません)
- REF-03: Michael Wheeler, “Martin Heidegger” (Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2020年版) — 論点の配列が現在の標準的な理解から外れていないかの検証に使用。
- REF-04: 『存在と時間』(岩波文庫、熊野純彦訳) — 日本語訳語の対比のための参照。
- REF-11: Hubert L. Dreyfus, Being-in-the-World (MIT Press, 1991) — 世界性の議論の位置づけが、現在の標準的な論点配列から外れていないかの検証に使用。