Step 08無料公開範囲

Step 08 コップの中の水と、世界の中の私は、同じ「中」ではない

このStepで答える問い

人間が日常的に「世界にいる」というのは、物が物理的にどこかに収まっているのと、どう違うのか?


まず3行でいうと

  1. §12 は、これから分析される全体の構えに名前を与えます。世界内存在(In-der-Welt-sein)。これは一つのまとまった現象であり、「世界」と「人間」と「関係」という三つの部品を後から組み立てたものではありません。
  2. その「うちに(in)」は、水がコップのうちにある、というときの「うちに」ではありません。そちらは空間のなかに位置を占めた二つの物のあいだの事柄です。§12 が取り出す「うちにあること(In-Sein)」は、住み慣れている、馴染んでいる、気にかけて関わっているというあり方です。
  3. これは現存在がときどき持ったり持たなかったりする性質ではありません。実存範疇です。「まず人間がいて、あとから世界と関係を結ぶ」という順序を、§12 は認めません。

前のStepから

Step 07 で第一章が終わりました。決まったのは二つです。

  • 何を分析するのか — そのつど私たち自身である存在者(§9)
  • 何と混ぜてはいけないのか — 人間を対象にする諸学と、この分析の担当範囲は違う(§10-11)

ここまでが準備でした。この Step から第二章に入り、分析そのものが始まります。

Step 07 の最後に残した問いはこうでした。「私たちは世界のなかにいる」——この言い方の「なか」は、コップのなかに水がある、というときの「なか」と同じなのか。


今回なぜこの問題が必要なのか

「人間は世界の中にいる」という文は、あまりに当たり前です。当たり前すぎて、ふつうは立ち止まりません。

しかし当たり前の言い方ほど、意味が二つ混ざったまま使われていることがあります。そしてこの文の場合、混ざっている二つの意味は、まったく違うものを指しています。

ここで分けておかないと、この先の分析はすべてずれます。世界を「大きな入れ物」として思い描いたまま先へ進むと、そのあと何を読んでも、「入れ物のなかに人間という中身が入っている」という絵が背後で動き続けるからです。

§12 は、その絵を最初に壊しておく節です。


原典で起きていること

まず、二つの「中」を分ける

私たちはふだん、同じ言葉を二つの場面で使っています。

「水がコップの中にある」「鍵がポケットの中にある」。 これは、物と物の位置関係です。片方がもう片方の範囲におさまっている、という話です。

「私はいま部屋の中にいる」「私たちは同じ世界の中に生きている」。 こちらはどうでしょうか。

§12 が最初にやるのは、この二つを分けることです。「私は世界の中にいる」と言うとき、ハイデガーは、水がコップの中にあるときと同じ意味で「中」と言っているわけではありません。

そのうえで、私たちが現に世界とかかわっている、そのあり方の全体に、§12 は名前を一つ与えます。世界内存在(In-der-Welt-sein) です。

これは一つのまとまった現象である

名前を与えたあと、§12 はすぐに注意を置きます。

世界内存在は、一つのまとまった現象である。 三つの独立した部品を後から接着したものではありません。ドイツ語でこの語がハイフンでつながれているのは、まさにそのためです。

とはいえ、一つのまとまりであることと、見るための切り口が複数あることは別です。§12 は三つの切り口を挙げます。

  1. 「世界のうちに」の側 — この「世界」とは何か。その世界性とは何か
  2. 世界内存在という仕方で存在している当の存在者の側 — それは「誰」か
  3. 「うちにあること(In-Sein)」そのもの

そして、この三つがどこで扱われるかも示されます。1 は第三章(§14 以降)、2 は第四章(§25 以降)、3 はこの §12 と次の §13、そして第五章(§28 以降)です。

この Step が扱うのは 3 です。

「中」の一つ目の意味——場所におさまっていること

§12 は、日常の言葉づかいから始めます。

「うちに(in)」は、こういう場面で使われます。水がコップのうちにある。服が戸棚のうちにある。机が教室のうちにある。教室が校舎のうちにある。

これらに共通しているのは何でしょうか。空間のなかに位置を占めている二つのものがあり、一方が他方の範囲に収まっている、という事柄です。§12 はこれを「〜のうちに含まれていること(Inwendigkeit)」として、はっきり区別します。

この意味の「うちに」は、いくらでも積み重ねられます。水はコップのうちに、コップは机のうちに、机は部屋のうちに、部屋は建物のうちに。最後まで行くと、すべてが世界という空間のうちに、ということになりそうです。

§12 が止めるのは、この最後の一歩です。

「中」の二つ目の意味——住み慣れていること

「私は部屋のうちにいる」と言うとき、その「うちに」は、水がコップのうちにあるときの「うちに」と同じでしょうか。

§12 はここで、語の由来をたどります。「うちにあること」の「in」は、住む、とどまるという系統の語につながっています。そして「私はある(bin)」という語は、「〜のもとに(bei」という語につながっている。

つまり「私はある」は、もともと 「私は〜のもとに住んでいる、馴染んでいる」 という事柄を言い表していた、ということです。

もう一度、普通の言い方でまとめます。私が世界の「中」にいるというのは、位置の話ではありません。住み慣れていて、勝手が分かっていて、気にかけながら関わっている——そういうあり方の話です。

この、世界とのかかわり方そのものを表すために、§12 は In-Sein(内存在) という語を使います。本連載では、意味が見えやすいように「うちにあること」とも書きます。

これは性質ではなく、あり方である

ここが §12 のいちばん重要な主張です。

「うちにあること」は、現存在がときどき持ったり持たなかったりする性質ではありません実存範疇です。

言い換えると、こういう順序を §12 は認めません。

まず人間という主体があり、それがあるとき世界のほうへ向かって、関係を結ぶ。

この順序が成り立つためには、関係を結ぶ前の、世界を持たない主体というものが先にいなければなりません。§12 が否定するのは、その出発点です。関係を結ぶ以前に、すでに関わりのうちにある。それが「うちにあること」です。

だから「世界内存在」は、人間と世界の関係の名前ではありません。 関係という語は、二つのものが先にあることを含んでいます。§12 が置いているのは、その手前です。

椅子は壁に触れることができない

§12 は、裏側からの指摘を一つ置きます。

椅子が壁に接している——ふつうにそう言います。しかし §12 は、厳密には椅子は壁に触れていないと述べます。

なぜか。何かに触れるということが起きるためには、触れる側に、そのものと出会える場所がなければならないからです。椅子には、壁がそこで現れてくるような場所がありません。世界を持たないものは、他のものと出会うことができない。

この指摘は、物理的な接触を否定しているのではありません。二つの物が並んでいるという事態と、何かと出会うという事態が、まったく別のものだと示しているのです。

そして、私たちが世界のうちにあるというのは、後者のほうです。

空間はどうなるのか

「では現存在には空間がないのか」という疑問が、すぐ出てきます。

§12 の答えは、そうではありません。現存在にも空間性はあります。 ただしそれは、物が空間のなかに位置を占めているという意味の空間性ではありません。現存在に固有の空間性は、世界内存在を土台にしてはじめて可能になるものです。

§12 はこの点を指摘するだけで、正面からの分析は先へ送ります。本書がこれを扱うのは第三章の後半(§22-24)です。

そして、認識はどうなるのか

§12 の終わりに、次の節への橋が架かります。

「うちにあること」には、いろいろなあり方があります。何かを作る、使う、手入れする、放っておく。そのなかに、世界を認識するというあり方も含まれています。

§12 が置くのは、こういう位置づけです。認識は「うちにあること」の一つのあり方であって、その根拠ではない。

これは、哲学が長いあいだ置いてきた順序を、ひっくり返しています。だからこそ、次の節がそれを正面から扱います。


具体例

ここからは、理解を助けるために本連載が置いた例です。ハイデガー自身の例ではありません。

引っ越し初日の部屋と、三年住んだあとの同じ部屋を思い浮かべてください。

間取りは同じです。家具の配置も同じだとします。しかし三年後には、暗がりでも電気のスイッチに手が伸びます。初日にはそうではありませんでした。

このとき、位置関係は何も変わっていません。 スイッチと自分のあいだのメートル数は、初日も三年後も同じです。変わったのは、馴染んでいるという度合いのほうです。

そしてもう一つ大事なことがあります。引っ越し初日の部屋も、すでに「馴染んでいない部屋」として現れています。 まったく関わりがないのではありません。「不慣れ」というのも、関わり方の一つです。

この例が示しているのは、馴染みの度合いが変わっても位置関係は変わらないという一点だけです。世界が部屋のような入れ物だという話ではありません。部屋は世界の縮尺模型ではなく、世界のうちですでに出会われているものの一つです。


論証を整理する

問い
  「世界のうちにいる」の「うちに」とは、どういう事柄なのか

前提
  Step 06:この存在者の存在は、そのつど私のものである
  Step 07:この存在者を、物の記述の仕方で扱ってはならない

推論
  (1) これから分析される全体を「世界内存在」と呼ぶ。
      これは一つのまとまった現象であり、部品の組み立てではない
      → ただし切り口は三つある(世界/誰/うちにあること)
  (2) 日常語の「うちに」には、空間のなかで位置を占めているという意味がある
      (水がコップのうちに/服が戸棚のうちに)
      → これを「〜のうちに含まれていること」として区別する
  (3) しかし「私は部屋のうちにいる」の「うちに」は、
      「住む、とどまる、馴染んでいる」という系統につながる
      → 「私はある」は「私は〜のもとに住んでいる」という事柄を言い表す
  (4) この「うちにあること」は現存在の性質ではなく、実存範疇である
      → 「世界を持たない主体が、あとから世界と関係を結ぶ」という順序は成り立たない
  (5) 裏側からの確認:椅子は壁に触れることができない。
      世界を持たないものには、他のものと出会える場所がないからである
  (6) 現存在にも空間性はあるが、それは世界内存在を土台にしてはじめて可能になる
      → 正面からの分析は §22-24 へ送られる

結論
  「世界のうちにいる」の「うちに」は、位置ではなく、馴染みと関わりのあり方である。
  そしてそれは、現存在がときどき持つ性質ではなく、そのあり方そのものである

次の問い
  では、哲学が長いあいだ第一に置いてきた「世界を認識する」という営みは、
  この構造のどこに位置するのか

重要語

  • In-der-Welt-sein(イン・デア・ヴェルト・ザイン / 世界内存在): 現存在のあり方全体を指す名。一つのまとまった現象であり、「世界」「人間」「関係」の組み立てではない。切り口として、世界の側・誰であるかの側・うちにあることの三つが挙げられる。
  • In-Sein(イン・ザイン / 内存在・うちにあること): 「住む、とどまる、馴染んでいる」という系統の「中」。どこにあるかという位置の話ではなく、どうかかわっているかというあり方の話である。現存在がときどき持つ性質ではなく、実存範疇(=私たち自身について使う言葉のほう。Step 06)である。
  • Inwendigkeit(インヴェンディヒカイト / 〜のうちに含まれていること): 水がコップの中にある、というときの「中」。物と物の位置関係について言われる。In-Sein とはっきり区別される。
  • Welt(ヴェルト / 世界): 本Stepでは「世界内存在」という語の一部として登場する。この語が何を指すのかは、本Stepではまだ規定されていません。 その問いは第三章(§14)で正面から立てられます。
  • Existenzialien(実存範疇)/Kategorien(範疇): Step 06 から継続。「うちにあること」は実存範疇の側に属する。

誤解しやすい点

  • 世界内存在は「人間と世界の関係」ではありません。 「関係」という語は、関係するものが二つ先にあることを含みます。§12 が置いているのはその手前です。関係を結ぶ以前に、すでに世界のうちにある——これが主張の中身です。

  • 世界は入れ物ではありません。 §12 が否定しているのは、まさに入れ物としての「うちに」です。世界を大きな箱や容器として思い描くと、§12 の内容がそっくり消えます。

  • 「主観と客観は存在しない」という主張ではありません。 認識という営みは現にあります。§12 が言っているのは、それが土台ではないということだけです。この点は次の Step 09 で正面から扱われます。

  • 「馴染んでいる」は心地よさのことではありません。 不慣れも、居心地の悪さも、うんざりすることも、すべて「うちにあること」のあり方です。快適さの度合いを言っているのではありません。

  • 現存在に空間がない、という話ではありません。 §12 は空間性を否定していません。順序を指摘したうえで、分析を §22-24 へ送っています。

  • 「椅子は壁に触れない」は物理の話ではありません。 接触という物理現象を否定しているのではなく、何かと出会うという事態が、二つの物が並んでいることとは別だ、と示しています。


自分で考えてみる

  1. あなたが今いる場所について、「位置」で言えることと、「馴染み」で言えることを、それぞれ書き出してみてください。どちらのほうが多く出てきますか。
  2. 「まず自分がいて、あとから世界と関わり始めた」という瞬間を、あなたは思い出せますか。思い出せないとしたら、それはなぜでしょうか。

次のStepへ

「うちにあること」が取り出されました。位置ではなく、馴染みと関わりのあり方として。

しかし、これだけではまだ抽象的です。実際にそれを見せるには、どうすればよいでしょうか。

§13 が取る方法は、少し意外なものです。「うちにあること」のあり方のなかから一つだけを選び、それを丁寧に調べることで、構造全体を見せる。

そして選ばれるのが、世界を認識することです。

これは偶然の選択ではありません。認識こそ、哲学が長いあいだ人間と世界をつなぐ第一の営みとして扱ってきたものだからです。主観がここにいて、客観があちらにある。その隔たりを認識が橋渡しする——この絵は、いまでも私たちの考え方の深いところに残っています。

もしその認識が、土台ではなく、すでに世界のうちにあることから派生した一つのあり方だとしたら、何が変わるのでしょうか。

次の Step 09 で、その問いに入ります。


出典・参考資料

本文の各主張と一次資料の対応関係は、memo/evidence/being-and-time/step-08-evidence.md を正本とします。

以下の「H.」は、ドイツ語原典(Niemeyer社版)の各ページ余白に付されている標準の頁番号です。翻訳書にも同じ番号が併記されているため、どの版からでも同じ箇所をたどれます。

REF-01: Martin Heidegger, Sein und Zeit, Max Niemeyer.(1927年公刊) 本Stepで根拠として用いた箇所は次のとおりです。

  • 第一篇 §12(H. 52-58) — 世界内存在一般を現存在の根本の構えとして示すこと。世界内存在が一つのまとまった現象であり、部品の組み立てではないこと。三つの切り口(世界とその世界性/世界内存在という仕方で存在する当の存在者は誰か/うちにあること)。日常語の「うちに」が持つ、空間のなかで位置を占めるという意味と、それを「〜のうちに含まれていること」として区別すること。「うちにあること」の「うちに」が住む・とどまる・馴染むという系統につながり、「私はある」が「〜のもとに住んでいる」という事柄を言い表すこと。「うちにあること」が現存在の性質ではなく実存範疇であること。世界を持たないものは他のものと出会えず、椅子は壁に触れることができないこと。現存在にも空間性があるが、それは世界内存在を土台にしてはじめて可能になること。世界を認識することが「うちにあること」の一つのあり方であって、その根拠ではないこと

章の所属について: §12 は第一部第一篇の第二章(§12-13)に属します。第二章の範囲は memo/20260828_存在と時間_原典構造マップ.md によります。

参考資料(本文に直接対応する引用はありません)

  • REF-03: Michael Wheeler, “Martin Heidegger” (Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2020年版) — 論点の配列が現在の標準的な理解から外れていないかの検証に使用。
  • REF-04: 『存在と時間』(岩波文庫、熊野純彦訳) — 日本語訳語の対比のための参照。
  • REF-11: Hubert L. Dreyfus, Being-in-the-World (MIT Press, 1991) — 世界内存在の読解が現在の標準的な論点配列から外れていないかの検証に使用。