Step 03 なぜ「存在」の問いが科学の土台に関わるのか
このStepで答える問い
存在への問いは、個別の学問(科学)の基礎とどう関係するのか?
まず3行でいうと
- どの学問も、自分が何を扱うのかを先に決めたところから始まる。その「何を扱うのか」を規定しているのが 基礎概念 であり、学問が本当に動くのは、この基礎概念が揺らいで見直されるときである。
- 基礎概念は、その学問の内部の作業だけでは根拠づけられない。対象領域そのものが何であるかを先に問う作業が要る。それが 存在論 の仕事である。
- そして §3 の主張はここからだ。その存在論のほうが、「あるとはどういうことか」を明らかにしていなければ、根本において盲目にとどまる。 存在への問いは、個別の学問ではなく、その手前にある存在論の土台に関わっている。
前のStepから
Step 02 で、問いの形が確定しました。
- 問われているもの=存在
- 問い尋ねて得られるもの=存在の意味
- 問いかけられるもの=存在者そのもの
そして一つの空欄が残りました。
存在者は無数にあります。そのどれに問いかければよいのか。
§2 の末尾で候補は名指されました。いま現に問いを立てている当の存在者、つまり私たち自身です。しかし「なぜこの存在者でなければならないのか」という理由は、まだ示されていません。
今回なぜこの問題が必要なのか
ここでハイデガーは、空欄をすぐには埋めません。少し遠回りをします。
その前に確かめておきたいことがあるからです。そもそも、この問いはどれくらいの重みを持つ問いなのか。
私たちは日々、物理学や医学や歴史学の成果を信頼して暮らしています。それらは実際に役に立ち、間違いを見つけて自分を修正していく力を持っています。それに比べて「あるとはどういうことか」という問いは、いかにも手応えがなさそうに見えます。
もしこの問いが、学問の営みとまったく無関係な、哲学者だけの内輪の関心事なのだとしたら——空欄を埋める作業に、それほど力を注ぐ理由はありません。
§3 が確かめるのは、そこです。
原典で起きていること
§3 はまず、学問というものを一度定義し直します。学問とは、真である命題を、根拠づけの連関としてひとまとまりにしたものである。
そのうえで、次のように述べます。学問の本当の動きは、成果が積み上がっていくところにあるのではない。その学問の基礎概念が見直されるところにある。
さらに踏み込みます。ある学問の水準は、自分の基礎概念について危機を起こせるかどうかで決まる。
ここは読み飛ばしやすいところですが、向きを確認しておく価値があります。これは科学への批判ではありません。むしろ逆で、土台が揺らぐような問い直しに耐えられることを、学問の強さの指標として見ているのです。
ハイデガーは §3 で、そうした揺らぎの実例として、数学、物理学、生物学、歴史学、神学といった分野を挙げていきます。それぞれが、自分の扱っているものが何であるかをめぐって、根本のところで対立や動揺を抱えてきたからです。
基礎概念とは何か
では、その「基礎概念」とは何でしょうか。
先に、身近な言い方をしておきます。ある学問が「自分は何を扱っているのか」をつかんでいる、そのつかみ方のことです。生物学なら「生きているものを扱っている」、歴史学なら「過ぎ去った出来事を扱っている」。この最初のつかみ方が、その学問の基礎概念にあたります。
§3 の規定はこうです。ある学問が主題として扱うすべての対象の下に横たわっているひとまとまりの領域——それを、研究に先立ってあらかじめつかんでおくための取り決めが、基礎概念です。そしてこのつかみ方が、その学問のあらゆる具体的な研究を導いています。
つまり基礎概念は、研究の結果として得られるものではありません。研究が始まる前に、すでに働いているものです。
だからこそ問題が生じます。基礎概念は、その学問の内部の作業だけでは根拠づけられません。実験や資料の積み重ねは、すでに「何を実験の対象とみなすか」「何を資料とみなすか」が決まったあとで始まるからです。
根拠づけるには、対象領域そのものが何であるかを、先に問う作業が要ります。
先立って走る作業
§3 は、この作業が個別の学問に先んじて走るものだと述べます。そして、それは実際に可能である、とも述べます。プラトンとアリストテレスの仕事がその証拠だ、というのがハイデガーの挙げる根拠です。
この作業は、後から論理を整えるような仕事ではありません。ある存在の領域へ先に踏み込み、その領域がどういう存在の構えを持っているのかを初めて開き、そこで得られた構造を、個別の学問が問いを立てるための見通しとして手渡す——そういう生産的な仕事だ、と §3 は位置づけます。
近代の例としてハイデガーが挙げるのが、カントの『純粋理性批判』です。それは「自然」という領域について、経験に先立つ枠組みを取り出した最初の一歩だった、と評価されます。
そして §3 の主張
ここまでは、存在論が個別の学問の手前にある、という話です。§3 の主張はその先にあります。
その存在論のほうが、「あるとはどういうことか」を十分に明らかにしていなければ、根本において盲目にとどまり、自分がいちばんやりたかったことを取り違えてしまう。
だから存在への問いは、二重の意味で手前を狙っています。個別の学問が可能であるための条件だけではなく、その学問を基礎づけている存在論そのものが可能であるための条件を狙っている。
これが §3 の言う、存在への問いの 存在論的な優位 です。
普通の日本語で説明すると
言い換えると、こうなります。
学問は、自分の縄張りを先に決めてから始まります。物理学は物理的なものを、生物学は生命を、歴史学は歴史的なものを扱う。この線引きがなければ、何を調べればよいのかが決まりません。
ところが、その線引きそのものは、線引きの内側の作業では確かめられません。 生命とは何かを、生物学の実験だけで決めることはできません。実験は「これは生きているものだ」と見なしたあとで始まるからです。
そこで、線引きそのものを問う作業が要ります。「生命とは、どういうあり方のことなのか」。これが存在論の仕事です。
そして §3 が最後に置く一手は、この存在論にさらに手前を突きつけるものです。「〜とは、どういうあり方のことなのか」と問うとき、その「あり方(ある)」自体が何を意味しているのかは、確かめられているのか。
確かめられていなければ、どれだけ精密に領域を分析しても、何を明らかにしているのかが分からないまま進むことになります。
具体例
ここからは、理解を助けるために本連載が並べ直した例です。学問の名前そのものは §3 が挙げているものですが、下のような対応表の形で整理したのは本連載です。
| 学問 | 扱う領域 | 領域の手前に置かれている問い |
|---|---|---|
| 物理学 | 物理的なもの | 「物理的なものである」とは、どういうあり方か |
| 生物学 | 生命 | 「生きている」とは、どういうあり方か |
| 歴史学 | 歴史的なもの | 「歴史的である」とは、どういうあり方か |
右の列は、それぞれの学問の内部で答えが出る問いではありません。かといって、答えが出るまで研究を止めるべきだ、という話でもありません。実際にはどの学問も、右の列に暫定的な答えを置いたまま進んでいます。
§3 が言っているのは、その暫定的な答えが揺らぐときこそ、その学問が根本のところで動いているということです。
論証を整理する
問い
存在への問いは、個別の学問の基礎とどう関係するのか
前提1
学問とは、真である命題を根拠づけの連関としてまとめたものである
学問の本当の動きは、基礎概念が見直されるところにある
前提2
基礎概念とは、その学問の対象領域をあらかじめ理解するための規定であり、
研究の結果ではなく、研究に先立って働いている
推論
(1) 基礎概念は、その学問の内部の作業では根拠づけられない
→ 対象領域そのものを先に問う作業(存在論)が要る
(2) その作業は個別の学問に先んじて走り、領域の存在の構えを開く
→ プラトンとアリストテレス、近代ではカントがその実例
(3) しかし、その存在論のほうが「あるとはどういうことか」を
明らかにしていなければ、根本において盲目にとどまる
結論
存在への問いは、個別の学問の可能性の条件であるだけでなく、
それを基礎づけている存在論そのものの可能性の条件に関わる
= 存在への問いの存在論的な優位
次の問い
では、その問いはどの存在者に問いかければよいのか
(Step 02 で空いたままの欄へ戻る)
重要語
- Grundbegriffe(グルントベグリッフェ / 基礎概念): ある学問が扱う対象領域を、研究に先立ってあらかじめ理解するための規定。研究の成果ではなく、研究の前提として働いているもの。
- 存在者的(ontisch / オンティッシュ): 存在者について調べる水準。個別の学問はここで働いている。
- 存在論的(ontologisch / オントロギッシュ): 存在者の存在について問う水準。存在論はここで働いている。
- Sein(ザイン / 存在) / Seiendes(ザイエンデス / 存在者): Step 00・01 から継続。
「存在者的」「存在論的」は、日本語では一字しか違わないうえに、どちらも見慣れない語です。「存在者について」か「存在について」かという区別だけを持って先へ進んでください。
誤解しやすい点
ここは誇張が起きやすいところなので、§3 が言っていないことを先に並べます。
-
「存在論が完成すれば、科学がすべて変わる」とは言っていません。 §3 が論じているのは、基礎概念が根拠づけられる場所がどこにあるか、という筋道です。個別の学問の成果が置き換わるという予告ではありません。
-
「科学は存在論なしでは成立しない」とも言っていません。 実際、どの学問も、対象領域についての暫定的な理解を置いたまま成り立ち、成果を上げてきました。§3 が「根本において盲目にとどまる」と述べているのは存在論についてであって、個別の学問についてではありません。 ここは読み違えやすいところです。
-
ハイデガーは科学を否定していません。 §3 は逆に、基礎概念の危機を起こせることを学問の水準の指標として挙げています。土台が揺らぐ問い直しに耐えられることを、強さとして見ています。
-
「哲学のほうが科学より偉い」という話でもありません。 問われているのは順序であって、優劣ではありません。ある領域を調べるには、その領域が何であるかがすでに決まっている必要がある——それだけのことです。
自分で考えてみる
- あなたが仕事や勉強で扱っている分野には、「これは自分の扱う対象だ/対象ではない」という線引きがあるはずです。その線引きは、いつ、どこで決まったものでしょうか。
- その線引きが揺らいだ場面を見たことがありますか。そのとき、その分野では何が起きていましたか。
次のStepへ
§3 で確かめられたのは、存在への問いの重みです。この問いは、哲学者だけの内輪の関心事ではなく、対象領域を先に決めて動くあらゆる営みの、さらに手前に関わっていました。
だとすれば、Step 02 で空いたままの欄を、そろそろ埋めなければなりません。
無数の存在者のうち、どれに問いかければよいのか。
§2 の末尾で候補は名指されていました。いま現に問いを立てている当の存在者、つまり私たち自身です。しかし、名指されただけで、理由はまだです。
次の Step 04 では、その理由に踏み込みます。なぜ、他のすべての存在者を差し置いて、この存在者から始めなければならないのか。
出典・参考資料
本文の各主張と一次資料の対応関係は、memo/evidence/being-and-time/step-03-evidence.md を正本とします。
以下の「H.」は、ドイツ語原典(Niemeyer社版)の各ページ余白に付されている標準の頁番号です。翻訳書にも同じ番号が併記されているため、どの版からでも同じ箇所をたどれます。
REF-01: Martin Heidegger, Sein und Zeit, Max Niemeyer.(1927年公刊) 本Stepで根拠として用いた箇所は次のとおりです。
- 序論 §3(H. 8-11) — 存在への問いの存在論的な優位。学問を「真である命題の根拠づけの連関」として規定すること。学問の本当の動きが基礎概念の見直しにあり、その水準が基礎概念の危機を起こしうるかで決まること。数学・物理学・生物学・歴史学・神学における根本的な動揺への言及。基礎概念が、対象領域をあらかじめ理解するための規定であること。対象領域そのものを問う作業が個別の学問に先んじて走ること、およびプラトンとアリストテレスがその実例であること。カント『純粋理性批判』への言及。存在一般の意味が明らかにされていなければ、存在論は根本において盲目にとどまること
参考資料(本文に直接対応する引用はありません)
- REF-03: Michael Wheeler, “Martin Heidegger” (Stanford Encyclopedia of Philosophy, 2020年版) — 論点の配列が現在の標準的な理解から外れていないかの検証に使用。
- REF-04: 『存在と時間』(岩波文庫、熊野純彦訳) — 日本語訳語の対比のための参照。
- REF-05: 『存在と時間』(岩波文庫、桑木務訳) — 日本語訳語の対比のための参照。